N1/2017年12月
新しい販売ルートを開拓した。
私たちは、町の復興に全力で取り組んでいます。
書類の確認怠ったために、問題が生じた。
本人の了承を得て、写真を掲載した。
あの人はいつもあれこれ指図をする。
友人を京都の名所を巡り、旅を満喫した。
小型カメラの国内市場では、弊社が20バーセントの( )を占めています。
転勤の意向を上司からそれとなく( )されたが、返答に迷っている。
新しい上司は、元警察官という( )の持ち主だ。
布のパックは水が染み込みやすいが、このバックは水を( )素材で作られているので、雨の日も安心だ。
今回の活動の趣旨は、この団体の設立目的から大きく( )している。
インターネットを使えば、様々な情報を( )簡単に入手できる。
河原の石は形も大きさも( )で、同じものが一つもないように見えた。
松本氏は自身のブログで抱負を述べていた。
あの頃は、暮らしにゆとりがあった。
出荷台数は若干伸びている。
その議員は議会での発言を撤回した。
あの二人はいつも張り合っている。
中村氏のかたくなな態度は変わらなかった。
重複
拠点
真っ先
緊密
遂げる
うなだれる
X陶芸美術館が2 5日、Y市に閉館する。同美術館ではこれ( )、23日に 関係者を招いて記念式典を行った。
27. 水泳の水川陽選手。父親が有名な水泳選手である( )、彼は周囲からの大き なプレッシャーに苦しんできたが、それを乗り越え、見事オリンピック出場を決めた。
姉:「あれ?出かけるの?」
妹:「うん、ちょっと新宿まで。」
姉:「あ、新宿に( )、帰りにみるく屋のチーズケーキ、買ってきてくれない?」
妹:「うん。いいよ。」
五年前に植えた校庭の桜が、今年初めて花を( )。
(社内メールで)
営業部各位 第三回プレゼン勉強会を開催します。
参加希望者は丨月丨5日までに、人事課村田 までお知らせ( )。
悩んでいる時は、信頼できる誰かに話を聞いてもらうといい。話すことで自分の考え
も整理でき、解決には至らない( )、気持ちが楽になるだろう。
(テレビ番組で)
司会「きちんと手を( )、指の間などに意外に汚れが残っていることも多い のです。そこで今日は正しい手の洗い方をご紹介します。」
今日は朝から胃の調子が悪い。夜中にラーメンなんか( )。
近年、世界的な人口増加により、将来の水不足への関心は急激に( )。
昨日午後2時ごろ、x市の一部地域で、約4 0 0世帯が停電した、ABC電力は、 工事中のクレーン車が電線に接触したのが原因( )。
「乗りかかった船」ということわざは、乗った船が岸を離れれば途中で降りることができない___ _★_ ___ ___そうだ。
年をとって人生を振り返った時に___ _★_ ___ ___したくない。
NPO法人「音楽の夢」では、音楽を通じたさまざまな教育プロジェクトを展開していくことに___ ___ _★_ ___活動をしています。
今は、一学年5クラスもある北森川小学校だが。___ ___ _★_ ___危機感があった。
県立高校の校長が、同校に在学する知人の娘の成績証明書を偽造したこうが明らかになり、教育関係者からは___ ___ ___ _★_怒りの声が挙がった。
以下は、小説『望月青果庙』(小手鞠るい祥)についての咨評である。
思春期の頃、母親の存在を疎ましく(注1)思った。初めて恋をした頃だった。恋するという感情がうれしいような恐ろしいような気がしていて、何かのせいにしたかったのだと思う。自分の中には母親と同じ血が流れていて、だから恋なんかするんだ、全てお母さんのせいなのだと変な理屈で恋心を納得させようとしていた。
本書の主人公・鈴子(41)母親は天敵のような存在で、母からいつも逃げたいと思っていた。そして結婚に猛反対した母を捨てるような気持ちで誠一郎と一緒になったのだ。50代になった鈴子は、盲目の夫・誠一郎と盲導犬の茶々(ちゃちゃ)とアメリカでペンションを経営しながら穏やかな日々を過ごしている。
(42)、小さな青果店を営む岡山の実家から母親の体調が恶いことを知らされ、5年ぶりの里帰り(注2)を計画するのだが、大雪による停電が続き里帰りは危ぶまれる。停電の中で様々な過去の記憶が甦(よみがえ)る。母との確執、初恋の人・隆史と交わした約束……。
過去の記憶を過ぎたことと忘れてしまえればどんなに楽かと(43)。記憶は塗り変えることが出来ないから厄介で、いつまでも胸を締め付ける。思春期の頃に母親に投げかけた酷い言葉がふとした時に生々しく心の中に甦って居たたまれないような気持ちになる(注3)ことがある。(44)、記憶は塗り変えられないけれど、新しい記憶を育むことは出来る。停電の中で鈴子は、結婚前に再会した隆史が時問を超えて果たしてくれた約束を思い出す。それは、母から誠一郎へと旅立つ鈴子この背中を強引に押してくれた。誰にも言えない秘密の思い出だった。記憶は人の心を締め付けることも温めることも出来る,誠一郎との暮らしの中で育まれてゆく静かで豊かな幸摇な時間は、鈴子の母への思いを少しずつ和らげてくれる。物語の最後で交わされる母娘の電話の会話はとっても可愛くて微笑ましかった。本を閉じた後、(45)車を実家に走らせた。
(注1)疎(うと)ましい:いやな感じがして避けたい。
(注2)里帰り:実家に帰ること。
(注3)居たたまれないような気持ちになる:ここでは、落ち着いた気持ちでいられな くなる。
(1)以下は、あるツアーに申し込んだ人に送られてきたメールである。
田川優子様
この度は卜-ラベルライトをご利用いただきありがとうございます。
弊社ホームページよりお申込みいただいた[小型飛行機で行く暁島」(12月9日発)は、航空券の発売がご搭乗日1か月前からとなるため、現時点では仮予約になっております。ご希望の便が確保できましたら、田川様のご自宅宛(あて)に確認書をお送りします。
万が一、ご希望に添えなかった場合は、別の便をご提案させていただくこともございます。何とぞご了承ください。それでは、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
2017年9月10日
株式会社トラベルライト(担当 中村)電話:024-881-6456(平日10〜19時.土日祝9〜18時)
メールア-ドレス:aaa@aaa.co.jp
(46)このメールで最も伝えたいことは何か。
(2)
あらゆる仕事はなんらかの形で、その人を世界の中に位置づける。畑仕事のような個人作業でもそうだ。自然のサイクルの中に、自分の存在を確かめることができる。
人はどんなに大金持ちになっても、なんらかの形で働こうとする生き物だろう。お金持ちはお金持ちなりの仕事を、自分でつくり出すはずだ。それは人間が、外の世界との関わり合いを通じてしか自分が存在する実感を得ることができず、またそれを常に渇望(注)していることを示している。
(注)渴望(かつぼう)する:強く望む。
(47)筆者の考えに合うのはどれか。
(3)
「すべての歴史は現代史である。」この有名な言葉が示す内容は、われわれが史料(注1)に対した場合、けっきょく史料をとおして過去を見るのは、ほかならぬ現在のわれわれであり現在の眼(め)である、ということである。われわれは、公平無私に(注2)、また古い時代の人の心になって対処しようとしても、われわれが生きている現在の時代の人間 である、ということから脱出することはできないからである。
要するに歴史学は、こうした性格をもった学問である。
(注1)史料:歴史研究のために必要な文献や遺物など。
(注2)公平無私に:私的な感情を持たずに公平に。
(48)筆者によると、歴史学とはどのようなものか。
(4)
人問は古い昔から、「人問とは何か」を問うてきた。けれどそれは、早く言えば「人問は動物とどこがちがうか?」 という問いかけであった。いわく(注)「人間には動物にはない言語がある」、いわく「人間には思想がある』、「人間には文化がある」等々。しかしこの問いかけは、根本的にまちがっていた。
問題は「人間は動物とどうちがうか?」 ではなくて、「人間は他の動物とどうちがうか?」ということだったのである。これに答えるには、人間はどういう動物であるかを問う以外にない。
(注)いわく:ここでは、よく言われるように。
(49)筆者の考えに合うのはどれか。
(1)日本には昔から「物見遊山」(注1)という言葉がありますが、非日常への憧れは観光の一つの本質です。
しかしその一方で、物見遊山だけに頼った観光地はいずれ必ず飽きられてしまうというのも事実です。例えば富士山を見た外国人が、もう一度富士山だけを見るために訪日してくれるでしょうか?よほど個人的な思い入れでもない限り、そういうケースは稀でしょう。海外からわざわざやって来た旅行者に日本という場所へのリピーター(注2)となってもらうためには、彼らがまた戻って来たくなる別の工夫が必要です。
どの様なビジネスであったとしても、顧客(=ファン)の存在は決定的な意味を持ちます。そのブランドの価値を認めて、長期にわたって買い支えてくれる人の存在無しには安定的な収益は望めません。このことは観光地においても事情は同じです。(中略)
ここで再び、本質的な問いかけが浮かんできます。顧客とリピーターを生みだし、観光・リゾート地として何度も選ばれ続けるためには、一体何が必要なのでしようか?
本当の意味で旅行者を惹きつけ、その土地のファンとなるのは、名所旧跡のような観光資源だけではありません。重要なのは自分たちとは異なる豊かな「日常性(ライフスタイル)」です。その土地の人たちが生き生きと暮らしていれば、訪れた人はきっとその理由を見つけたくなる。風土に根差した生活様式、独自の食文化、季節ごとの行事、その地の環境が育んだ産業。二回、三回と足を運べば、その度にまた違った表情が見えてくる。その深さを知れば、決して飽きることはありません。
(注1)物見(ものみ)遊山(ゆさん):見物して遊びまわること。
(注2)リピーター:ここでは、繰り返し訪れる人。
(50)富士山の例を挙げて、筆者が述べようとしていることは何か。
(51)このことは観光地においても事情は同じとあるが、どういうことか。
(52)観光地として何度も足を運んでもらうには、何が重要か。
(2)芸術作品が私たちにもたらすものは、感動ばかりではない。驚きとか困惑、ときに不快感やイライラ感だったりする。それまでだれも思いつかなかったような形状や色彩や音は、私たちをさまざまに揺さぶる。
私たちは惯れ親しんだ世界に浸っているとき心地よさに包まれているが、そこから新しいものは生まれない。そういう意味で穏やかで心地よい文化は、保守的で現状肯定的であり、創造性やエネルギーにとぼしい。だからこそ、あえて不安とか狂気、驚きといった刺激をもたらしてくれる①天邪鬼(注1)としての芸術が社会には必要なのである。
そういう意味で芸術は安定した穏やかなものを否定するところで生まれる。そうした芸術が誕生すると、社会は大きな包摂性(注2)をもっているから、トゲトゲしたものもくるんで呑(の)み込んでしまう。すると、また異質な刺激因子としての芸術が必要になってくる。②その繰り返しによって、社会と文化のエネルギーが維持されるのではないか。(中略)
そうした芸術の天邪鬼性は、活力よりも穏やかさが優勢になりがちな成熟社会においてはより重要である。しかも、いまは昔とちがって世の中の変化のサイクルがどんどん短くなっており、これは芸術を生み出す側に大きな変化が求められていることを意味している。なぜなら時代の変化に合わそうとすると、必然的に次々と作品を世に出さなければならず、個々の作品の高めることがむずかしくなる。質を高めて完成域に近づいたときには、もう時代は次のサイクルに入っていて、次の作品に取りかからなくてはならない。
(注意1)天邪鬼(あまのじゃく):ここでは、逆らったり否定したりするようなもの。
(注意2)包摂(ほうせつ)性:中に包み込む性質。
(53)筆者によると、①天邪鬼(あまのじゃく)としての芸術が社会に必要なのはなぜか。
(2)芸術作品が私たちにもたらすものは、感動ばかりではない。驚きとか困惑、ときに不快感やイライラ感だったりする。それまでだれも思いつかなかったような形状や色彩や音は、私たちをさまざまに揺さぶる。
私たちは惯れ親しんだ世界に浸っているとき心地よさに包まれているが、そこから新しいものは生まれない。そういう意味で穏やかで心地よい文化は、保守的で現状肯定的であり、創造性やエネルギーにとぼしい。だからこそ、あえて不安とか狂気、驚きといった刺激をもたらしてくれる①天邪鬼(注1)としての芸術が社会には必要なのである。
そういう意味で芸術は安定した穏やかなものを否定するところで生まれる。そうした芸術が誕生すると、社会は大きな包摂性(注2)をもっているから、トゲトゲしたものもくるんで呑(の)み込んでしまう。すると、また異質な刺激因子としての芸術が必要になってくる。②その繰り返しによって、社会と文化のエネルギーが維持されるのではないか。(中略)
そうした芸術の天邪鬼性は、活力よりも穏やかさが優勢になりがちな成熟社会においてはより重要である。しかも、いまは昔とちがって世の中の変化のサイクルがどんどん短くなっており、これは芸術を生み出す側に大きな変化が求められていることを意味している。なぜなら時代の変化に合わそうとすると、必然的に次々と作品を世に出さなければならず、個々の作品の高めることがむずかしくなる。質を高めて完成域に近づいたときには、もう時代は次のサイクルに入っていて、次の作品に取りかからなくてはならない。
(注意1)天邪鬼(あまのじゃく):ここでは、逆らったり否定したりするようなもの。
(注意2)包摂(ほうせつ)性:中に包み込む性質。
(54)②その繰り返しとあるが、何を繰り返すのか。
(2)芸術作品が私たちにもたらすものは、感動ばかりではない。驚きとか困惑、ときに不快感やイライラ感だったりする。それまでだれも思いつかなかったような形状や色彩や音は、私たちをさまざまに揺さぶる。
私たちは惯れ親しんだ世界に浸っているとき心地よさに包まれているが、そこから新しいものは生まれない。そういう意味で穏やかで心地よい文化は、保守的で現状肯定的であり、創造性やエネルギーにとぼしい。だからこそ、あえて不安とか狂気、驚きといった刺激をもたらしてくれる①天邪鬼(注1)としての芸術が社会には必要なのである。
そういう意味で芸術は安定した穏やかなものを否定するところで生まれる。そうした芸術が誕生すると、社会は大きな包摂性(注2)をもっているから、トゲトゲしたものもくるんで呑(の)み込んでしまう。すると、また異質な刺激因子としての芸術が必要になってくる。②その繰り返しによって、社会と文化のエネルギーが維持されるのではないか。(中略)
そうした芸術の天邪鬼性は、活力よりも穏やかさが優勢になりがちな成熟社会においてはより重要である。しかも、いまは昔とちがって世の中の変化のサイクルがどんどん短くなっており、これは芸術を生み出す側に大きな変化が求められていることを意味している。なぜなら時代の変化に合わそうとすると、必然的に次々と作品を世に出さなければならず、個々の作品の高めることがむずかしくなる。質を高めて完成域に近づいたときには、もう時代は次のサイクルに入っていて、次の作品に取りかからなくてはならない。
(注意1)天邪鬼(あまのじゃく):ここでは、逆らったり否定したりするようなもの。
(注意2)包摂(ほうせつ)性:中に包み込む性質。
(55)筆者によると、いまの芸術家はどのような状況に置かれているか。
(3)いま私たちの多くは、社会など動かしようがないと考えているのではないでしようか。そして、それを所与(注1)の条件として、どのように行動すればいいかの判断基準を決めているのです。言い換えれば私たちは、「この社会は動かしようがないのだから、それを現実として受け入れるしかない」と思い込み、その範囲内で実行可能な行為しか考慮しなくなってしまうのです。ここに①大きな誤りがあります。
たしかにこの社会は動かし難しい。それは事実です。しかし、そのことと、この社会がいかにあるべきかは、まったく別のことです。にもかかわらず、目の前の現実に依拠(注2)して,私たちの行為の正しさやよさが決められてしまう。これでは、現実に不正義が行われていても、それを問うことはできません。なぜなら、そのような現実を前提にして、正しい行為とは何かのルール設定がなされているからです。目の前の现実が正義にかなっていない場合、そこでの行為の正しさやよさを問うことはできないと私は考えていますが、ともすると(注3)私たちは、その現実の範囲内での「適切な』行為を「正しい」行為であると考えてしまいがちです。たしかに、②その現実が動かしがたく、そのなかで生きていかねばならないとすれば、そこにおいて最も適切な行為とは何かを探究することには意味がありますし、 その探究によって最も適切とされる行為を選択すべきでしよう。
しかしながら、その現実のほうに問題があるとすれば、そこで最も適切とされた行為は「適切」であるにしても、「正しい」行為ではないはずです。
(注1)所与の:与えられた。
(注2)~に依拠(いきょ)する:~に基づく。
(注3)ともすると:ここでは、つい。
(56)①大きな誤りとは何か。
(3)いま私たちの多くは、社会など動かしようがないと考えているのではないでしようか。そして、それを所与(注1)の条件として、どのように行動すればいいかの判断基準を決めているのです。言い換えれば私たちは、「この社会は動かしようがないのだから、それを現実として受け入れるしかない」と思い込み、その範囲内で実行可能な行為しか考慮しなくなってしまうのです。ここに①大きな誤りがあります。
たしかにこの社会は動かし難しい。それは事実です。しかし、そのことと、この社会がいかにあるべきかは、まったく別のことです。にもかかわらず、目の前の現実に依拠(注2)して,私たちの行為の正しさやよさが決められてしまう。これでは、現実に不正義が行われていても、それを問うことはできません。なぜなら、そのような現実を前提にして、正しい行為とは何かのルール設定がなされているからです。目の前の现実が正義にかなっていない場合、そこでの行為の正しさやよさを問うことはできないと私は考えていますが、ともすると(注3)私たちは、その現実の範囲内での「適切な』行為を「正しい」行為であると考えてしまいがちです。たしかに、②その現実が動かしがたく、そのなかで生きていかねばならないとすれば、そこにおいて最も適切な行為とは何かを探究することには意味がありますし、 その探究によって最も適切とされる行為を選択すべきでしよう。
しかしながら、その現実のほうに問題があるとすれば、そこで最も適切とされた行為は「適切」であるにしても、「正しい」行為ではないはずです。
(注1)所与の:与えられた。
(注2)~に依拠(いきょ)する:~に基づく。
(注3)ともすると:ここでは、つい。
(57)②その現実とあるが、どのようなものか。
(3)いま私たちの多くは、社会など動かしようがないと考えているのではないでしようか。そして、それを所与(注1)の条件として、どのように行動すればいいかの判断基準を決めているのです。言い換えれば私たちは、「この社会は動かしようがないのだから、それを現実として受け入れるしかない」と思い込み、その範囲内で実行可能な行為しか考慮しなくなってしまうのです。ここに①大きな誤りがあります。
たしかにこの社会は動かし難しい。それは事実です。しかし、そのことと、この社会がいかにあるべきかは、まったく別のことです。にもかかわらず、目の前の現実に依拠(注2)して,私たちの行為の正しさやよさが決められてしまう。これでは、現実に不正義が行われていても、それを問うことはできません。なぜなら、そのような現実を前提にして、正しい行為とは何かのルール設定がなされているからです。目の前の现実が正義にかなっていない場合、そこでの行為の正しさやよさを問うことはできないと私は考えていますが、ともすると(注3)私たちは、その現実の範囲内での「適切な』行為を「正しい」行為であると考えてしまいがちです。たしかに、②その現実が動かしがたく、そのなかで生きていかねばならないとすれば、そこにおいて最も適切な行為とは何かを探究することには意味がありますし、 その探究によって最も適切とされる行為を選択すべきでしよう。
しかしながら、その現実のほうに問題があるとすれば、そこで最も適切とされた行為は「適切」であるにしても、「正しい」行為ではないはずです。
(注1)所与の:与えられた。
(注2)~に依拠(いきょ)する:~に基づく。
(注3)ともすると:ここでは、つい。
(58)行為の適切さと正しさにっいて、筆者はどのように考えているか。
互いに視線を向けるという場面では、サルと人問には大きな違いがある。サルにとって相手をじっと見つめるのは軽い威嚇になり、強いサルの特権である。弱いサルは、見つめられたら決して見返してはいけない。挑戦したとみなされて攻撃を受ける羽目になるからだ。強いサルの視線を避けて横や下を向くか、歯をむき出して笑ったような表情をすればいい。
強いサルは自分の優位性を確認できれば、それ以上威嚇(いかく)することはない。ただ、自分が強いサルの関心を引きそうな食物に手をかけていたら、すぐさまその場を退いたほうがいいだろう。競合する場面では、弱いサルが強いサルに譲るように誰もが期待しているからだ。それがサル社会のルールである。
人間ではサルとは違ったことが起こる。時折「眼(注1)をつけただろう」とすごまれる(注2)ことがあるが、見つめるという行為はふっう威嚇にはつながらない。むしろ、相手に積極的な関心を向けたり、許容や忠告、愛の表現であったりする。視線の向け方にも作法があり、目をかっと見開いたり、細めたり、丸くしたり、四角にしたり、横目や流 し目、上目づかいや見下すなど、多種多様である。その作法は文化によっても、性別や年齡、身分や服装によっても違ってくる。それは人問にとって、顔と顔とを合わせ、視線を交わすことが重要なコミュニケーションであるからだ。
実際、言葉が発達した私たちの社会でも、重要なことは直接会って決めることが多いし、面接は人物を確かめる手段として重用されている。(中略)
ところが、現代の情報機器はこの視線の作法をあまり使わなくてもすむ社会をつくってしまった。人々は毎日インターネットやメールをのぞくために多くの時間を使っている。家族や親しい仲間とじっくり顔を合わせて、対話や協同作業を楽しむ時間を失いっっある。
その結果、多様な視線の作法を忘れ、他人と視線を合わせることが億劫となっているのではないだろうか。だが、言葉は视線のコミュニケーションを代替できない。言葉は意味を、視線は感情を伝える,むしろ意味があいまいであるからこそ、视線は暖かくも冷たくもなりうるし、そこで受けた印象を後で変えることもできるのである。
言葉は視覚で得た映像や画像を意味として切り取る。そして文字はその言葉を化石化する装置である。それが持ち運び可能な効率的な手段だからこそ、人間は世界を言葉や文字で塗り替えた。だがそのおかげで、私たちは豊かな心を育んできた视線による対面の世界を忘れようとしている。それは皮肉にもサルのような視線を合わせない、優劣社会に移行することにつながるのではないか、と私は不安に思っている。
(注1)眼(がん)をつける:相手の顔をにらむ。
(注2)すごむ:脅すような態度をとる。
(59)筆者によると、サル社会のルールとは何か。
(60)サルとは違ったこととは何か。
(61)筆者は、視線の作法をどのようにとらえているか。
(62)筆者の考えに合うものはどれか。
A
会社の仕事は学校と違い、知識だけでは役に立たず、実際の判断や行動が問題である。だから何事も、実際に経験しない限り、新しい能力は身につかない。今持っている能力というのはすべて、過去において未経験の仕事に取り組んだ結果、身についたものだ。
したがって、部下や後輩に対しては常に、今までの仕事をだいたいこなせる(注)ようになったなと思ったら、すかさず彼にとっては未経験の仕事を与え、それをやりとげるようバックアップをする必要がある。
(中略)
そして何とか問題を克服したら、必ずほめる。ほめることによって本人も“おれもやれるな”と自信がつき、次はこちらから未経験の仕事を与えなくても、自分で新しい問題を買って出るようになる。そして全力投球でそれと対決し、克服してさらに自信の持てる範囲を広げ、さらに未経験の課題に取り組むという成長循環に入っていく。
B
企集で人材を育てるには、上司が部下の行動のスタイルを理解して指導を行うことが重要だ。これまでは、まずはとにかく経験させ、その過程で試行錯誤しながら進歩していくのがよいと考えられてきたが、最近では事前に情報をインブットした上で経験をしたいというタイプが多い。このようなタイプには、未経験の仕事をいきなり与えるのではなく、十分に情報を与え全体像をつかませた上で、新しい仕事に取り組ませることが効果的だ。
最近の部下は現状維持でいいと考える人が多いという批判が聞かれるが、彼らの行動のスタイルに合わせて経験を積ませていくことによって視野が広がり、自ら新しいことに取り組もうという姿勢を持つようになるだろう。
(注)こなす:処理する。
(63)部下に未経験の仕事をさせることについて、AとBはどのように述べているか。
(64)AとBが共通して部下に期待していることは何か。
このところ、「〇〇倫理」という言葉をしばしば耳にする。マスコミでは、政治倫理、企業倫理、メディア倫理などといった言葉はおなじみのものだろう。そうした言葉は、なにか問題が起きたときの掛け声のようなもので、空疎(注)な常套句(じようとうく)にすぎないのかもしれない。だが、漠然と、倫理といったものが必要だという気分が漂っているのは、事実であるように思う。
そうした雰囲気を受けて、倫理学では、応用倫理学と呼ばれる分野が急速に成長し、さまざまな倫理が提唱されつつある。たとえば、生命倫理、環境倫理、ビジネス倫理に始まって、情報倫理、工学偷理、スポーツ偷现、さらには、遗伝子倫理、脳神経倫理、ナノ倫理、ロボット倫理といった具合に、言葉を見ただけでは、内容がにわかには想像しにくいものまで登場している。「なんでも倫理症候群」とでもいいたくなるほど、「〇〇倫理」が大はやりなのだ。どうやら、現代は「倫理的な時代』らしいのである。こうした倫理ばやりは、わたしのように哲学や偷理学を専攻する人間にとって、必ずしも喜ばしい事態であるわけではない。それは、倫理が空気のようなものだからだ。
普段、わたしたちが生活しているときに、空気を吸っていることをとりたてて意識などしない。生きていく上で空気が必要なことはわかってはいても、希薄になって、息苦しくでもならない限り、空気は意識されたりはしない。
倫理には、それと似たところがある。倫理がさかんに語られるのは、社会がそれまで通りにはいかず、息苦しくなっているような時代である。少なくとも歴史を振り返ってみると、「倫理的な時代」はいずれも価値観の大きな変動期にあたっていた。つまり、それまで当然だと思っていた考え方や生き方が大きく揺らぎ、どう考え、どう生きたらよいのかわからないようなときに、倫理は求められてきたのだ。わたしたちが生きている現代は、そうした時代である可能性が高い。この場合、一番の問題は,変動期の人間には、先が容易に見通せないことである。現在は、過去の歴史的な亊例とは違って、どのような結果が待ち受けているか、あらかじめ知ることはできない,わたしたちは、そうした不確かさのなかで、現在を生きていかざるをえない。
もちろん、こうした事態を、わたしたちが新たな未来を切り開くのだと、積極的にいってみることはできるかもしれない。しかし、そうした積極的な態度や発言が簡単にはできないのが、「倫理的な時代」なのだ。とりあえずできるのは、なにが起きつつあるのか、どのような問題が出てきているのかを知り、考えていくことである。それが、現在を生きるということであるはずだ。
(注)空疎(くうそ)
(注)な常套句(じようとうく):ここでは、中身のない形だけの言葉。
(65)そうした雰囲気とあるが、どのようなことか。
(66)倫理と空気の似ている点について、筆者の考えに合うのはどれか。
(67)筆者は「倫理的な時代」をどのような時代だととらえているか。
(68)筆者は「倫理的な時代」を生きる人間にできることは何だと考えているか。
北山大学
証明書の発行(在学生)
本学に在籍中の学生には以下の証明書の発行が可能です。証明書の種類や書式によって、発行方法が異なります。
証明書自動発行機で申請、発行できる証明書(全て北山人学の書式を使用)
種類 | 手数料(和文、英文) | 受付時間 | 所要日数 |
1.在学証明書 | 200円 | 月~土 8:30~20:00 | 即日 |
2.成績証明書 | 200円 | ||
3.卒業見込み証明書*1 | 200円 | ||
4.-a健康診断証明書 | 300円 |
*1大学院の学生は、所属研究科の事務室に申請してください。発行は申請から5日後なります。
学生センターで窓口で申請が必要な証明書*2
種類 | 受付期間 | 所要日数 |
4-b健康診断証明書(提出先が指定する書式) | 月~土 9:00~16:30 | 申請後5日 |
5-a調査書(北山大学の書式) | 申請後7日 | |
5-b調査書(提出先が指定する書式) |
*2 手数料は、お問い合わせください。
・申請の時点で、その前の学期までの授業料を納入していない場合、証明書は発行できません。
・申請には、学生証が必要です、証明書自動発行機を利用しての申請は、さらに4けたのパスワードも必要です。パスワードを忘れた学生は、所属学部の事務室に再交付をお願い出てください。
・3月26日~4月5日、9月25日~10月5日は、データ更新のため、証明書自勘発行機の利用を停止します。この期間は、全ての証明書の申請を学生センター窓口で受け付けます。
・電話やメ-ルによる申請はできませんが、郵送での申請は可能です。その場合、郵送にかかる日数も考慮して申請してください。詳しくは、お問い合わせください。
間い合わせ先:北山大学学生センタ-証明書(00-00-00)
(69)マイクさんは北山大学の4年生である。就職活動のため、以下の四つの証明書が必要になり、メモをした。この中で、受付時間内に申請をすれば、その日のうちに受け取れるのはどれか。
マイクさんのメモ.
・成績証明書
・卒業見込証明書
・健康診断証明書(書式は会社指定のもの)
・調査書(書式は会社指定のもの)
(70)証明書の申請に関して、留意しなければならないことはどれか。